▲イギリスの薔薇
イングランドの国花は薔薇「テューダーローズ」です。1455~
それは、赤い薔薇を紋章にしたランカスター家と、
薔薇戦争の終結の際、赤い薔薇と白い薔薇を重ねた紋章「
テューダーローズという薔薇は実在しませんが、ヨーク アンド ランカスターという薔薇が名の通り両家をイメージした品種になり
このような経緯があったのですが、
ランカスター家の創立は1267年、
薔薇の栽培が一般的に普及したのはもう少し後になりますが、
▲フランスの薔薇
フランスで薔薇の発展に大きな貢献を果たしたのは、ナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763~1814)です。
彼女は51歳で他界しますが、最後の10年間で収集した薔薇の品種は約250種類だそうです。
当時の有名な園芸研究家、ガーデンデザイナー、庭師を雇い、権力・財力を使って当時入手困難な品種をほとんど収集したと言われるほどのコレクターでした。
彼女はマルメゾン城の庭園にバラ園を作りました。その庭園は700ヘクタール程の広さで、薔薇だけでなく、南国で育つ植物のために温室を造ったり、フランスでは初めてという200種類ほどの植物を育てたりしたそうです。
また、カンガルーやシマウマやアザラシなど珍しい動物も飼っていました。
ちょっとした動植物園ですよね。
何が彼女をそこまで動かしたのでしょう。
ナポレオンが戦続きの不在で淋しかったから?そんなしおらしい理由ではなく、華やかで行動的な女性だったから?
当時の貴族の常識は、私には想像がつきません('_')
ジョゼフィーヌが亡き後、彼女のコレクションを交配親とした新種が次々と生まれ、フランスは薔薇の育種の中心となりました。
ジョセフィーヌがその礎となったのは間違いないですね♪
薔薇の名前には、ジョゼフィーヌはもちろん、ナポレオンや、ナポレオンの優秀な家臣たちの名前を付けたものが数々あります。高貴なことの象徴だったのですね。
それが月日を経て、技術の発展と共に薔薇をモチーフにした家具やアクセサリーなどが作られ、一般的にも親しまれるようになったのでしょう。
彼女は51歳で他界しますが、
当時の有名な園芸研究家、ガーデンデザイナー、庭師を雇い、
彼女はマルメゾン城の庭園にバラ園を作りました。
また、
ちょっとした動植物園ですよね。
何が彼女をそこまで動かしたのでしょう。
ナポレオンが戦続きの不在で淋しかったから?
当時の貴族の常識は、私には想像がつきません('_')
ジョゼフィーヌが亡き後、
ジョセフィーヌがその礎となったのは間違いないですね♪
薔薇の名前には、ジョゼフィーヌはもちろん、ナポレオンや、
それが月日を経て、